「道路」の話をしよう

交通の世界をわかりやすく紹介

日本の道路の歴史

日本の道路の歴史は古く、古代から道路の整備が行われていました。古代には、都市や神社などの重要な施設を結ぶ道路が整備され、中世になると宿場町や城下町を結ぶ道路が整備されました。
明治維新以降、日本は西洋式の道路整備を進め、道路整備法や道路法が制定され、全国的な道路網の整備が進められるようになりました。1920年代には、国道の整備が開始され、1930年代には高速道路の建設も始まりました。
第二次世界大戦後、日本は大きな被害を受けましたが、復興にあたって道路整備は欠かせないものとなりました。1950年代には、国土開発計画が策定され、道路整備もその一環として進められました。
その後、高度経済成長期に入ると、車の普及が進み、交通渋滞が深刻化しました。この問題に対応するため、都市高速道路や首都高速道路などの高速道路が整備され、道路の充実が図られました。
現在は、高速道路や一般国道、都道府県道、市町村道など、様々な種類の道路が整備され、日本の道路網は非常に発達しています。

古代の交通制度

今回は古代の交通制度について開設していきます。
古代の律令制下では全国を五畿七道と呼ばれる地域に区分していました。
五畿は畿内ともいい、山城、大和、河内、和泉、摂津の諸国で、七道は東海、北陸、山陽、山陰、南海、西海の諸道で、これらの地名の呼称であると道路の呼称としても使われています。

七道駅路

律令制下において、中央と地方諸国を結んだ古代の道路です。駅路、律令制で定められた駅使が通行する街道のことで七道駅路とも呼ばれています。
七道駅路は東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道を指します。
原型は大化前代(6、7世紀頃)から形成されていましたが、天智・天武期(668~686)頃、本格的に整備されました。
考古学の調査によると、その幅は最小で6m、最大で30mを超えていたことが判明、整備された直線道路であったそうです。
駅路の使われ方は、有事の際の迅速な情報伝達、軍隊の移動、公用の役人の移動、租庸調(税)によって納められていた物資の輸送でした。
駅路には30里(約16キロメートル)ごとに駅家(うまや・やくか)が配置されています。駅家は役人の乗用馬、宿泊、休憩、食事などを提供する施設がありました。
また、駅家には駅馬が置かれ、緊急連絡や公文書の伝達などに用いられ、利用者は利用証として携行する決まりがあったそうです。

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